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唐人町商店街プロレス [プロレス]

きょう、7月3日(土)はYahoo!JAPANドームでホークス×バファローズ戦。ホークス先発・和田投手がハーラートップ11勝の快投をみせ・・・

なのですが、そのYahoo!JAPANドームの最寄りの地下鉄駅:唐人町でDDTプロレスによる「唐人町商店街プロレス」が開催されました。しかし戦いの場所はリングではなく
商店街のアーケード!!

仕事先のとある人から数日前にこのイベントのことを聞き、試合開始の17時に現地に行くと、この情報を聞きつけたプロレス好きな人たちが集まってました。さらに商店街の店員や近所の人たちも足を止め、結構な人だかりに。
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【対戦カード】
KO-Dタッグ選手権試合
 <王者>高木三四郎澤宗紀
      vs HARASHIMA中澤マイケル<挑戦者組>

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リングがないので、路上で3カウントを奪い合います!

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路上でロメロスペシャル!日常ではありえない光景です!!


人が多かったので、フィニッシュは見れなかったのですが、チャンピオンチームの王座防衛で幕を閉じました。最後にみんなで・・・
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この日は偶然にも久留米の商店街でもプロレスをやっており、そこに出場した松本浩代選手が帰京前に唐人町に立ち寄り、試合に飛び入りしていました。
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【合掌】金網の鬼・ラッシャー木村 [プロレス]

ラッシャー木村選手(68歳)・・・2010年5月24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去。
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ラッシャー木村といえば、晩年のマイクパフォーマンスがクローズアップされがちですが・・・
【国際プロレス最後のエース】
温和な性格なのに、それ以上の責任感から、エースとして金網デスマッチに身を投じることに。この頃のプロレスをオンタイムで観れなかったのが悔やまれます。


【はぐれ国際軍団@新日本プロレス】
”こんばんわ事件”で始まったラッシャー木村の新日本プロレス参戦。アントニオ猪木のライバル・敵役がたくさんいたなかで、十分な存在感を示してました。もっとシングルプレイヤーとしての実力を発揮してもいいのに、あえて自分の役割を果たそうとする姿が忘れられません。


【第1次UWF旗揚げメンバー】
このあと全日本プロレスに行く前に、UWF旗揚げに参加しています。実はサンボの使い手だった木村選手、あのままUWFに残っていたら格闘技の歴史も変わっていたでしょう・・・(でも木村選手の性格からして、それはないかなぁ~)
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2004年7月10日、ノア東京ドーム大会のオーロラビジョンで引退を発表。これ以降公の場に姿を現しませんでした。「せめて引退セレモニーだけは・・・」と願ってましたが、こんなカタチで公の場に姿を現すことになるとは・・・

これから雑誌やネットなどで追悼特集が組まれるでしょう。せっかくの機会なので、しばらくラッシャー木村を堪能することにします・・・合掌。
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【合掌】”殺人医師”スティーブ・ウィリアムス [プロレス]

『殺人医師』スティーブ・ウィリアムス(49歳)が昨年12月30日、咽頭ガンで亡くなった・・・
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→スポーツナビの関連記事へ

全日本プロレスでテリー・ゴディとの『殺人魚雷コンビ』で世界タッグ戦線の中心となり、またシングルプレイヤーとしても、三沢光晴から三冠ヘビーを奪うなど、90年代の全日本プロレス四天王(三沢,川田,小橋,田上)に立ちはだかったエース外国人選手でした。

私が故人の試合で印象に残っているのは、意外にも新日本プロレス時代のもの。
【コンガ・ザ・バーバリアン戦(1986.11.3 後楽園ホール)】
ワールドプロレスリングの中継で見た試合です。当時の新日本は長州らが大量離脱し厳しい時代。UWF勢やエリック兄弟などで巻き返しを図っているときです。この試合は猪木・ケビン×木村・武藤という、ある意味歴史的な試合のセミファイナルとして組まれた試合ですが、決して巧いといえない二人が、力任せにぶつかり合うというなんとも不器用な試合です。しかしあまりにも不器用なだけに逆に印象が強く、また実況の古館アナが言った「田園コロシアムのハンセン×アンドレの一戦を思い出し・・・」というフレーズを聞いて、「この試合ってすごいんだなぁ」と感じました。


このほか猪木との一戦で、どちらかの肩(腕?)を負傷していた猪木が、逆の肩にテーピングを施して登場し、まんまとその騙し討ちに乗っかったウィリアムスが、テーピング側のほうを集中的に攻撃し、結果猪木に負けたという試合もよく覚えています。


最近のレスラーには付かなくなった”異名”。スティーブ・ウィリアムスの異名である「殺人医師」は、ある意味彼がトップ外人レスラーであった証ともいえる。天国で”人間魚雷”テリー・ゴディとの”殺人魚雷コンビ”を復活させ鶴田・三沢らと再び熱戦を繰り広げていることでしょう・・・合掌。
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やってやるって!! [プロレス]

私が一番好きなプロレスラーは・・・越中詩郎。ケンドーコバヤシがアメトーークでやった「越中詩郎芸人」によって、プロレスに興味がない人にまで知られることとなったアノ人です。
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そんな越中詩郎とケンドーコバヤシがアメトーークでのブレイクに乗って「やってやるって!」という本を出していました。
越中ファンとしては真っ先に購入すべきところですが、なぜか購入しないまま、2年以上が経過・・・それをこのたび購入し、それが今日届きました。
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「なんでもっと早く買って読まなかったんだろう!」と後悔するなか、”高田延彦との対談”は感動モノでした。普通に読むとそんなに感動する内容ではないのですが、越中VS高田の「ジュニア版名勝負数え歌」に心酔していた私にとっては、二人が普通に対談しているという事実そのものが感動なのです。

そもそも越中詩郎に興味を持ったのは全日本プロレス若手時代でした。その頃は普通の選手より興味がある程度だったのですが、私が”越中詩郎芸人”の一員になるキッカケになったのは、前述の「ジュニア版名勝負数え歌」でした。第一次UWFが新日本プロレスのリングにあがり、高田が越中の持つIWGPジュニアをアッサリ奪取したあとの1986年5月27日、福岡スポーツセンター(現在はソラリアプラザ)で王者・高田×挑戦者・越中のタイトルマッチがあり、私はそれを観に行ってました。白熱した試合でしたが、結果は”両者リングアウト”。納得のいかない越中選手は「もう一回やらせろって!もう一回博多でやってやるって!!」とマイクアピール。会場は盛り上がりましたが、私は内心「”博多で”というのは所詮リップサービスだよなぁ」と、ややシラけて聞いていました。
しかし次の両者タイトルマッチは同年9月19日、場所はなんと同じ福岡スポーツセンター!それだけでもビックリだったのに、越中選手はジャパニーズレッグロールクラッチホールドで高田を下し、IWGPジュニアのベルトを取り戻したのです!!。この試合をリングサイドで観ていた私は興奮して舞いあがっちゃって・・・それからずっと越中選手を追い続けています。

現在51歳の越中選手、まだまだ頑張ってもらいたいものです。
(自分が51歳になった時、こんなに元気あるかなぁ~)

越中詩郎ブログ・・・日々是前進~サムライ越中日記~
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