やってやるって!! [プロレス]
私が一番好きなプロレスラーは・・・越中詩郎。ケンドーコバヤシがアメトーークでやった「越中詩郎芸人」によって、プロレスに興味がない人にまで知られることとなったアノ人です。
そんな越中詩郎とケンドーコバヤシがアメトーークでのブレイクに乗って「やってやるって!」という本を出していました。
越中ファンとしては真っ先に購入すべきところですが、なぜか購入しないまま、2年以上が経過・・・それをこのたび購入し、それが今日届きました。
「なんでもっと早く買って読まなかったんだろう!」と後悔するなか、”高田延彦との対談”は感動モノでした。普通に読むとそんなに感動する内容ではないのですが、越中VS高田の「ジュニア版名勝負数え歌」に心酔していた私にとっては、二人が普通に対談しているという事実そのものが感動なのです。
そもそも越中詩郎に興味を持ったのは全日本プロレス若手時代でした。その頃は普通の選手より興味がある程度だったのですが、私が”越中詩郎芸人”の一員になるキッカケになったのは、前述の「ジュニア版名勝負数え歌」でした。第一次UWFが新日本プロレスのリングにあがり、高田が越中の持つIWGPジュニアをアッサリ奪取したあとの1986年5月27日、福岡スポーツセンター(現在はソラリアプラザ)で王者・高田×挑戦者・越中のタイトルマッチがあり、私はそれを観に行ってました。白熱した試合でしたが、結果は”両者リングアウト”。納得のいかない越中選手は「もう一回やらせろって!もう一回博多でやってやるって!!」とマイクアピール。会場は盛り上がりましたが、私は内心「”博多で”というのは所詮リップサービスだよなぁ」と、ややシラけて聞いていました。
しかし次の両者タイトルマッチは同年9月19日、場所はなんと同じ福岡スポーツセンター!それだけでもビックリだったのに、越中選手はジャパニーズレッグロールクラッチホールドで高田を下し、IWGPジュニアのベルトを取り戻したのです!!。この試合をリングサイドで観ていた私は興奮して舞いあがっちゃって・・・それからずっと越中選手を追い続けています。
現在51歳の越中選手、まだまだ頑張ってもらいたいものです。
(自分が51歳になった時、こんなに元気あるかなぁ~)
越中詩郎ブログ・・・日々是前進~サムライ越中日記~
そんな越中詩郎とケンドーコバヤシがアメトーークでのブレイクに乗って「やってやるって!」という本を出していました。
越中ファンとしては真っ先に購入すべきところですが、なぜか購入しないまま、2年以上が経過・・・それをこのたび購入し、それが今日届きました。
「なんでもっと早く買って読まなかったんだろう!」と後悔するなか、”高田延彦との対談”は感動モノでした。普通に読むとそんなに感動する内容ではないのですが、越中VS高田の「ジュニア版名勝負数え歌」に心酔していた私にとっては、二人が普通に対談しているという事実そのものが感動なのです。
そもそも越中詩郎に興味を持ったのは全日本プロレス若手時代でした。その頃は普通の選手より興味がある程度だったのですが、私が”越中詩郎芸人”の一員になるキッカケになったのは、前述の「ジュニア版名勝負数え歌」でした。第一次UWFが新日本プロレスのリングにあがり、高田が越中の持つIWGPジュニアをアッサリ奪取したあとの1986年5月27日、福岡スポーツセンター(現在はソラリアプラザ)で王者・高田×挑戦者・越中のタイトルマッチがあり、私はそれを観に行ってました。白熱した試合でしたが、結果は”両者リングアウト”。納得のいかない越中選手は「もう一回やらせろって!もう一回博多でやってやるって!!」とマイクアピール。会場は盛り上がりましたが、私は内心「”博多で”というのは所詮リップサービスだよなぁ」と、ややシラけて聞いていました。
しかし次の両者タイトルマッチは同年9月19日、場所はなんと同じ福岡スポーツセンター!それだけでもビックリだったのに、越中選手はジャパニーズレッグロールクラッチホールドで高田を下し、IWGPジュニアのベルトを取り戻したのです!!。この試合をリングサイドで観ていた私は興奮して舞いあがっちゃって・・・それからずっと越中選手を追い続けています。
現在51歳の越中選手、まだまだ頑張ってもらいたいものです。
(自分が51歳になった時、こんなに元気あるかなぁ~)
越中詩郎ブログ・・・日々是前進~サムライ越中日記~
7万もらってホテルでマットプレイしてきたYO!!
ぶっちゃけ上手くないんだけど、そのぎこちなさがむしろ(・∀・)イイ!!
スマタもしてくれけど、途中から普通にち○こ突っ込んでた件wwwww
http://f56e2h-.help.to-hoku.info/f56e2h-/
by ろぶすたー☆ (2011-04-09 01:01)